理想のママにはほど遠い

主婦ネタ・ママネタメインの雑記帳

子ども嫌いだった私が子どもを産んで

こんにちは、もちみです。

 

先週の月曜日かな。はじめてのおつかいが放映されましたね。

子どもができて初めて知りました。

「はじめてのおつかい」は泣ける、と。

 

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自分の子を重ねて見てしまうから、もう全てのお子さんが可愛くて応援したくなってしまう。その結果泣いちゃうっていうね。

  

ただ、私がはじめてのおつかい、をまじめに見たのは今回が初めてです。

というか子どもを産む前は、「こんなんどこの誰に需要あんの。テレビでわざわざやることなの?」と思っていたほど、大っ嫌いな番組でした。

 

それは偏に、子ども嫌いだったからに他なりません。

 

子ども嫌いだった20代の頃

自分が子ども嫌いである、と自覚し始めたのは、社会人になってからでした。

学生の頃はそこまで幼い子どもに触れる機会がありませんでしたが、社会人になってから、周囲の友人知人先輩なんかが子どもを産み始めるわけです。

必然的に人の子どもに触れる機会が増えました。

子どもはかわいい、特に赤ちゃんはとてもかわいい。

これは感情としてあるのですが、どう接したらいいかわからないのです。

人前であやすなんてこと、恥ずかしくてできませんでした。

そんな私に子ども達がなつくことはありませんでした。

だから厳密にいえば、子ども自体は嫌いというより苦手、でした。

 

仕事が忙しくなってくるにつれ、感情が殺伐とする日も増えました。

病院で走り回る子ども、スーパーで追いかけっこをする子ども、電車の椅子に下足で飛び乗る子ども、

そしてそれを止めもせず自分たちの会話に興じる親なんかを見ると「最低だな」と思っていました。

子ども自体、というより育てている側の親にイラつくことがすごく増えました。

 

今自分が子育てしていて思うのは、確かに非常識な親もなかにはいるけれど、大部分の家族はきちんとしつけをし、家族として協力しながら頑張っているということ。

でも20代のこの頃、目についていたのはごく一部の非常識な人達だったように思います。それをすべて「だから子連れは」というくくりで見ていた自分があさましくて恥ずかしいです。

でもこの頃はそんなこと気づかずにどんどんこじらせ、旅行先ではわざわざ子連れNGの宿を選ぶほど、子どもや子連れ家族に対する嫌悪感は強くなっていました。

 

いざ結婚、子どもはどうする~30歳の決断~

そんな私がいざ結婚することになり、次に考えるのは子供をどうするか、でした。

どす黒い感情を持っていた私はいきなりひよりはじめました。

「今まで散々えらそうに子持ちの人にイラついたりしていたのに

 自分は子育てうまくやっていけるのか・・・?」

 

私の答えはNOでした。

 

いくら馬鹿な自分でも、子どもは親の思うままになるわけはなく、子育てが大変なことくらいは理解していました。

 

「20代のうちはいいかな・・・30代になったら考えよう」

 

夫は子どもを望んでいましたが、私の考えを尊重してくれました。

 

さぁいざ30代になり、周囲も子持ちの人がいよいよ増えてきました。

夫の意見は変わらず「子ども欲しい」のまま。

私はと言えば、それなりに貯金もできていたし、仕事も評価され始めていたため、このまま二人で自由気ままに暮らしたい思いが強かったです。

 

ただ迷いももちろんあり。

私が子ども嫌いだとは毛頭思っていない周囲の人々は「子どもかわいいよ。子ども苦手でも自分の子どもはかわいいよ。お金はなんとかなるよ。」などと誘惑してきます。

実際30代になり心のとげも20代の頃ほどではなくなり、若干丸くなっていたように思います。

夫とは何度か子どもどうする、という話し合いはしたものの、夫は無理強いはしないため結局決断は出ず。ある日ぽつりと私がこう聞きました。

 

「子どもができたら、旅行も好きなところ行けなくなるかもよ。

 住むところも制限されるよ。簡単に引っ越せなくなるし。

 このまま二人で働いてれば、タワマンでも買って、

 夜景見ながらバルコニーでお酒のむ生活もできるかもよ。

 そういうの全部なくなっても、子ども欲しい?」

 

夫に聞くと

 

「子どもがいれば、そういうの全部なくなってもあり余るくらい

 楽しい思い出いっぱいできるよ、きっと。

 もし子どもができなければ二人で暮らすのもきっと楽しい。

 でも俺は子どもがいればもっともっと楽しいと思うよ。」

 

そんなの分かんないじゃん、単なるイメージじゃんと思いつつ、

子どもが嫌い、絶対苦労すると思い込んでいる自分も単なるイメージなのかもしれない。

綺麗な夜景の見えるマンションのバルコニーにいる自分たちが霞み、

子どもを抱いて優しそうにほほ笑む夫と、そして私の姿が浮かびました。

この人となら確かに、子どもを協力して育てていけるかも。

 

「子ども・・・頑張ってみる?」

 

30歳、結婚生活3年目にして、ようやく決意しました。

 

妊娠出産なんて誰でもできると思ってた 

その後、結局1度目の妊娠は流産してしまいます。

その頃の私はバカで無知で、妊娠したら出産まで誰でもこぎつけると思っていました。

でも違いました。流産はかなりの確率で誰にでも起こります。

 

流産の手術後、空っぽの子宮よりも更に空っぽなのは心でした。

あれだけ子どもなんて嫌いだと思っていたのに、

一度お母さんになることを夢見てしまった後は悲しくて悲しくてたまりませんでした。

赤ちゃん連れのお母さんを見ると涙が出ることもあり、仕事に打ち込むことで忘れようとしました。

 

流産後は妊娠しやすいからとお医者さんには言われましたが、

豆腐メンタルな私は結局1年ほど妊娠から逃げました。

 

そして、仕事もプライベートもすこぶる順調になった頃、ようやく次の妊娠へ。

前回はなかったつわりに苦しみ、ようやく迎えた安定期。お腹が張りやすく、あまりにつらいときだけマタニティマークを出して優先席へ向かいましたが、みんなスマホに夢中で席を譲られることなどほとんどなく。妊娠7ヶ月の終わりに切迫早産と判明、入院に妊娠糖尿に、あれこれトラブル続きでした。

それらを経てようやく、息子を我が家に迎えることができました。

 

待望の赤ちゃんに対して、優しく包み込むように接することを夢見ていましたが、

子育ての大変さは予想以上で、新生児期の育児はイライラしっぱなし。

産む前のことも陣痛の痛みも出産の痛みも全て過去のこと、

目の前にある現実に四苦八苦の日々が続きました。

 

今までの自由気ままな生活に突如吹き荒れてきた台風のようでしたが、

それでも息子は可愛くて、その将来を考えることは今までに感じたことのない幸福感をもたらしてくれました。

 

周りの子持ちの人々への見た目は180度変わり、

とてとて歩く男の子がいれば目じりがさがり、

「うちの子もいつかあぁやって歩くようになるんだなぁ」。

運動会の練習をしている小学生がいれば

「うちの子もいつかあんなにすごいことできるようになるんだなぁ」。

赤ちゃんをおんぶしながら、歩き回る子どもを追いかけるお母さんを見ては

「2人も育ててるなんて、あなた神です」。

と思うようになりました。

 

他人の子どもに自分の子の将来の姿を重ねあわせることで、

他人の子どももかわいくてかわいくてたまらないようになりました。

同時に自分の思う通りになんていかない子ども達を育てるその家族のことも、

尊敬できるようになりました。

(あまりに非常識な場合はやっぱモヤっとしちゃうこともあるけれど)

 

子ども嫌いだった私が子どもを産んで

20代の頃の私のように、子どもが嫌いな女性は世の中に一定数いると思います。

だけど悲しきかな、結婚してしまうと「次は子どもだね、楽しみだね」といった目で周囲は見てきます。

「世の中に子ども嫌いな女性などいるわけない、女性はみな母性にあふれ、子どもが好きで、好きな人の子どもを産み育てることが至上の幸せだ」などと思ってる人ももしかしたらいるのかもしれません。

 

子どもいたって母性なんかあふれないのに、いない人にあふれるわけがありません。

 

結局妊娠出産でやれ流産だとなれば手術をするのも女性、切迫で点滴を打ち続けるのも女性、陣痛に苦しむのも帝王切開で腹を切るのも女性、です。

産んだ後は育てる必要があるわけだから、女性とそのパートナーのライフスタイルも尊重されるべきだと思います。育児は一人じゃできませんし、生活費に教育費、綺麗ごとでは済みません。

 

我が家は「子ども嫌いだし、育てる自信もないし、いなくてもいいかな」という私と、「子どもが欲しい」という夫とで何度も話し合いをすることで、「この人とだったら、子どもを育てていけるかも」と納得できたから妊娠にふみきりました。

結局育てる当事者同士が納得しておくことが一番大事だと思います。

 

私は、子どもを育てる人が、子ども好きである必要は、必ずしもないのかな、と自身の経験を通して思います。

産んで初めて見えてくる景色があまりにも多すぎるから。

そして今までの自分の価値基準なんて、どんどん変わっていくから。

 

今はあれだけトゲトゲしく子どもや子連れ家族を見ていた気持ちはもうほとんどありません。

自分自身が妊娠出産することで、他の子達に息子を重ね合わせることで、子ども嫌い、そして子連れ家族嫌いからはもう脱却できたのかなぁと、

「はじめてのおつかい」を見て涙する自分を見て思うことができたのでした。

 

 

自分の中では人生における一番大きな選択でした。こちらのお題に応募。

本日は以上です。