理想のママにはほど遠い

主婦ネタ・ママネタメインの雑記帳

壮絶だった新生児育児~前編~【生後0ヶ月】

こんにちは、もちみです。

振り返り日記、生後0ヶ月新生児育児の話です。

 

「新生児育児、ぜーんぜんつらくなかったよ★」

って人も周りにいるんですけど、私はアホみたいにすっごくつらかった…!!!

自分の人生を振り返ってみても、あれほど追い詰められたのは後にも先にもあのときだけな気がするので、忘れないうちに書いておこうかと思います。

  

つらかったこと~自分編~

2ヶ月の入院で体力ゼロ

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36週まで2ヶ月寝たきり入院し、37週0日で出産したので、足はやせ細った状態で歩くだけでも息切れ、風呂に入れば眩暈がするような状態でした。

たった3キロの息子を抱っこしながら揺れ続けるのが、つらくてつらくてたまりませんでした。育児は体力勝負ってほんとだなと痛感。

 

裂けた会陰、続く悪露

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切迫入院中は子宮を刺激しない為、会陰マッサージも乳頭マッサージも禁止でした。

それはあまり関係ない気もしますが、出産時に裂けた会陰の傷は長いこと痛み、悪露も続きました

 

出ない母乳と乳頭裂傷

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最初は母乳の出が悪く、ミルクとの混合でスタート。

母乳を出すためにはとにかく赤ちゃんに飲ませることが大事なのですが、両胸とも乳頭裂傷が起こり、授乳の度に刺すような痛みが走る状態でした。

口に含む部分だから薬もつけられず、馬油を塗ってしのぐ日々。

 

産院が母乳育児に力を入れているところだったため、早いこと完母に切り替えたいと、まるで呪いのように、「ミルクを早く終わらせなければ」と思っていました。

 

地味にしんどかったのは、母乳外来に1週間に1度通わなければならなかったこと。

クリスマスの時期に1回、年末に1回、年明けに1回、そして1ヶ月検診。

真冬、そして新生児の時期に4度もお出かけすることになり、そのたび準備が大変でした…

息子の体重は順調に増えていたのですが、「このままだと心配でしょ?来週も来てくださいね。」と助産師さんに言われる度、「またお出かけかぁ…」と憂鬱に。

 

結局1ヶ月検診の時期に完母に切り替わりました。

今思えば、追い詰められてまで母乳にこだわらなくてもいい気がするんですけどね…

  

つらかったこと~子ども編~

おむつかぶれ

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肌が弱く、おむつかぶれはみるみる間にひどくなりました。

新生児期はおしっこも便も頻回で、1日10回以上のおむつ替え。

そのたびに、デリケートなお尻を傷つけないよう、ぬるま湯を用意し、コットンにしみこませ、優しくふき取っていたのですが、足癖が悪くて毎回すごく時間がかかりました

おむつもおしりふきもとにかく色々試しまくりの日々。amazon大先生のお急ぎ便を使い倒しました。

 

おしっこ爆弾

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男の子特有!突然のおしっこ爆弾

激痛授乳からのおむつかぶれ対策で体力を削られたところに、

おしっこ爆弾で肌着も自分の服もシーツも全てやられたときの絶望感

最終的に出る出ない関係なく不要なタオルを常にかけておき、使い捨てのペットシーツを下に敷くことで改善しましたが、そこに行きつくまでがつらかった。 

 

とにかく寝ない

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背中スイッチ&高さスイッチが敏感タイプで、抱っこして寝ても降ろすと起きる起きる!

電動のハイローチェアも効かない。

おくるみも効かない。

つぶすのが怖くて当時は添い乳もできず。

とにかく抱っこで寝かしつけるしかなく、運よく降ろせたときは、

お願いします、起きないで、お願いします

と祈っているような状態でした。

 

つらかったこと~環境編~

里帰りするも両親共働きで昼間も夜も独り

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私の母は職業柄、子どもの扱いにも知識にも長けていたので、里帰りさえすればなんとかなると思っていました。実際沐浴から寝かしつけまで、本当に頼りになる存在でした。

しかし母も父も現役で働いていたため、昼間は自分独りぼっち。

夜は、働く両親を起こしてはいけないと、これまた独りぼっちでした。

「あー、里帰りって、お母さんが専業主婦の人の場合に効果発揮する制度だなこれ。」

って何度か思いました。母が帰ってくるの待ち遠しかったなぁ。

 

私にとって夫って結構癒しの存在だったので、その夫と離れているのも孤独感につながっていたと思います。

  

季節は冬、服装に気づかい、年賀状に取られる睡眠

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12月生まれだったので、部屋の中は常に暖房で暖め、子どもの服装や寝具にも気を使いました。暖房で空気が悪くならないよう、換気もこまめに。

また、季節柄、息子が眠ってる貴重な時間を年賀状に割きました。

今思えば「どうでもいい!寝とけ!」って思うけど、あのときは謎の使命感に燃えていた…

 

実父がストレス

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里帰りして、親と喧嘩する人って結構多いようですね。

私も例外ではなく父親に泣かされました。

父は悪い人間ではないですが、仕事第一で、育児のほとんどを母に丸投げしてきた人間なので、産後の私のメンタルが通常と違うことにも気づかず、新生児育児がどれほど大変かも理解していない状態でした。単純に、「娘が帰ってきて、孫と毎日会える楽しい生活★」みたいに思っていたようです。

産後の恨みは一生忘れません。父とのトラブルはこちらの記事へ。

 

精神のコントロールが効かなかった

これらのことが絡まり合い、産後特有の不安定なメンタルに加え、容赦のない睡眠不足で、まともに物事を考えることができなかったように思います。

時々「育児つらいとかなめてる、覚悟して産んだんでしょ。」みたいな書き込みを見たりするのですが、通常時メンタルでいかに覚悟してても、産後メンタルでは全てが吹っ飛びました。

授乳もおむつ替えも寝かしつけも全てに時間がかかってしまうので、自分がようやく寝れるかなと横になると、息子が起きる時間。

少しでも起きそうなそぶりを見せると背筋が凍り、息子が可愛いというより恐怖の存在になっていました。

 

夜中は特に孤独感と不安感がひどくて、

泣きわめく息子に「うるさい!」と怒鳴ってしまいました。だめだ、やめなきゃ、と思いながらも、心の叫びが爆発して止まりませんでした。

…今考えても本当にひどいことをしてしまいました。

びっくりした顔をして更に泣く息子を見て我に返り、

「ごめんなさい…ごめんなさい…」と一緒に泣いていました。

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常に余裕がなくてつらくて、

なぜお母さんになってしまったのか、

私には育てることは無理だったんじゃないか、

答えのない問いをずっと自問していました。

 

いわゆるマタニティブルーだったのかと思います。

せっかく里帰りしていたのに、働いている親に気兼ねして、うまく甘えられませんでした。「抱っこしないと愛着関係が築けない」とか「泣かせ続けるとサイレントベビーになる」とか、色んな恐怖とも戦ってた気がします。

 

年末が、産後2週間頃にあたり、私の疲れはピークでした。

そんなとき、母が倒れてしまい、実の父からひどい仕打ちを受けて益々追い込まれます…

長くなったので、これは次回に。

 

本日は以上です。

 

~続きはこちら~