こんにちは、もちみです。
このブログを再開したのは息子生後6ヶ月あたりだったのですが、思い入れの強い産後の思い出し日記をちょこちょこあげていこうと思います。
本日は産後入院中の思い出し絵日記です。
私が出産したのは、里帰り先の個人産院でした。
全室個室(家族宿泊可)!食事が美味しい!お祝い膳がある!専属美容師さんのシャンプーサービスがある!などなど田舎にしては洒落たサービスが多く、すごく人気のところだったので、予約可能時期になり次第即予約を入れたのを覚えています。
食事は部屋で取ることもできたのですが、サロンで取ることもできたので、私は円座クッション抱えてそこに行ってました。基本24時間母子同室の産院だったので、食事のときは堂々と赤ちゃんを預けることもできて、かつおしゃべりも楽しめるので、食事がすごく待ち遠しかったなぁ。
まずはそんなサロンでの出来事。
先輩ママは強いよ
うちの子は黄疸の治療はぎりぎりで免れてほっとしていたのですが、治療をしていた2人目ママ・3人目ママはこともなげな様子で衝撃だったのを覚えています。
うちの子がもしかかってたら、私は不安で泣いてた気がする…先輩ママは強いなぁと思った出来事です。これを聞いていたから、うちの子の黄疸数値がやばかったときも「まぁ大丈夫だろ」と思えました。
余談ですが、このママ達とは4日間の入院がほぼ被っていて、食事が終わったあとも結構おしゃべりしてました。私は一人目の子だったし産後の一番不安な時期で、何気ないおしゃべりに心がとても救われてました。
スパルタ助産師さん
この産院はすごく母乳育児に厳しいところと聞いていましたし、実際そうでした。
でも私は切迫早産による2ヶ月の寝たきり入院で体力はほとんどない状態、かつ母乳も最初は出ないわ、赤ちゃんもよく泣くわで睡眠不足。
明日退院という入院3日目、日中フラフラになりながら赤ちゃんの面倒を見ていたところ、日中の助産師さんが「顔色悪いから今夜は預けたら?」って言ってくれたんですね。
で、迷いはしたものの、0時頃に体力の限界を迎え、夜勤の助産師さんに勇気出してお願いしたらすごーく不服そう。。それでもなんとか預かってもらえたし、今日はゆっくり眠るぞー!と思ったのも束の間。
「おっぱいですよー!起きてくださーい!」と起こされ・・・
なんかあまり寝た気がしないなと思ったら午前4時!
あれ?朝までってお願いしたよな・・・
母乳出てないんだから楽してる場合じゃないってことなのかな・・・
悲しくなって、泣きながら赤ちゃんに出ないおっぱいをあげた記憶があります。
色々な看護師さん、助産師さんがいてほとんどが優しい人でしたが、この人が一番厳しかったかも。
お産を担当してくれた助産師さんなんかは素敵な人柄の方で、陣痛のいきみのがしなんかも「そうそうそこそこ!」っていうタイミングで腰を押してくれるし、いきむタイミングのリードも完璧で、あぁこの人でよかったーって思えたんですけどね。
さすがにこの事(朝4時事件)は結構メンタル削られたので、最後渡されたアンケートに書いて退院しました。。
退院したら問答無用の24時間育児なんだから、入院中一晩くらい寝かせてくれよー!!
いざ退院!あれっ?
退院着は気合をいれましょう!と育児本なんかには書いてあったのですが、私は普段着にも使える方がいいなーと、コンビミニの青い鳥がデザインされたラップドレスにしていました。手袋もセットで。
↑これ。とってもメルヘンなデザインで、あぁこれを着たらさぞかし可愛かろうとウキウキしながら注文したのを覚えてます。
そしていざ退院!着せてみると・・・
あれ?
なんか違う
新生児って「赤ちゃん」の名の通りなんか赤い。
加えてうちの子、新生児の頃はすごくスターウォーズのヨーダに似ていまして。
その姿はワンピースを着た宇宙人そのもの。
すんごいふりふりのセレモニードレス を買わなくてよかった…ほんとよかった…傷は浅いぞ…と必死で自分を慰めました。
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産後入院編は以上!次は壮絶だった新生児育児の思い出を書きたい。
本日は以上です。